渡海前夜
- シェアードワールド参加作
- ユア・ブラッド・マイン
キーン、キーン、と。
等間隔に、甲高い音が狭い部屋に響き渡る。夏場にもかかわらず火が熾され、ひりつくような熱さが満ち満ちていた。
その音は槌が鉄塊を叩き延ばす音であり、その熱さは鉄塊を叩き延ばす手伝いをする窯からだ。部屋の中央では、長い髪を後ろにまとめた作務衣姿が、黙々と鉄塊に槌を振り下ろしていた。
「よう、真鉄。ちゃんと休んでるか?」
部屋の入口から、唐突に作務衣姿を呼ぶ声がする。作務衣姿―――真鉄と呼ばれた男は、声の主に見向きもせず槌を振り下ろした。
「おいおい、無視はないだろう。せっかく飯を持ってきてやったというのに」
入り口に立つ総髪の巨漢が、大量のおにぎりが入ったコンビニ袋を持ち上げ悪童のように笑う。
そこでやっと、真鉄は一瞥をくれた。しかし槌を振り下ろす一瞬の間だけであり、等間隔は乱れることなく続いていく。
「そこに置いておいてくれ」
「おう、なんだ受け答えできるじゃないか。ちゃんと休んでるか?」
総髪の男が、入口近くにある机に袋を下ろす。真鉄は、先ほどと同じように見向きもせず、槌を振り下ろし続けた。
その無視と止まる気配のない振り下ろしが、暗に休んでいないことを告げていた。
本来なら心配するところだろう。だが総髪の男は笑みを崩さない。事実、彼は真鉄の心配など微塵もしていなかった。その証拠に、彼のために持ってきたはずのおにぎりの包装を外し、ためらいもなく口にする。
ただ彼は、真鉄が一心不乱に鍛刀する姿を見ながら、飯が食べたかっただけなのだ。
「見物するのはいいが、七紫。貴様は鍛刀しないのか」
「そういうなよ、ご同業。今は小休憩といったところだ」
「歩いて一時間の小休憩とは、随分と余裕だな」
無感動に皮肉り、真鉄は作業を続ける。
二つ目の包装を外した総髪の男―――七紫と呼ばれた巨漢が、口の中のものを飲み込むと、考えを巡らせるように視線を天井に向け、そして真鉄へと戻した。
「そういえば、今日は報告があってな。ラバルナ帝国を知っているか?」
「流石に知っている。未知の鍛造技術があると聞いた」
「そう、それよ。そのラバルナに、勅命で赴くことが決まった。その未知の鍛造技術とやらを学び、こちらに広める大任よ」
神妙に語るその顔を、真鉄は一瞥した。おにぎりを持ったままの姿は、さぞ珍妙に映ったことだろう。
「貴様が興味関心に向ける情熱には、ほとほと感心する」
作業の手を止めず、彼はまた皮肉を口にした。
しかし、それに気づいているのかいないのか、七紫は悪童のような笑みを浮かべた。
見物する彼は残ったおにぎりを頬張り、次の包装を破る。見物される彼は、自分の飯が着々となくなっていく現状に頓着せず、ただただ作業を進めていく。
そうして、日もとっぷりと暮れた頃。あれほどあったおにぎりは、コンビニ袋に詰められたビニールのゴミ山へと変貌していた。
「私の飯ではなかったのか」
「お前が途中で休んでこちらにこないからだ!」
「貴様は、そういうのは望まない質だろう」
悪びれずに大笑する七紫に、呆れたように真鉄は息をつく。
その返しに、明るい笑みを収めた七紫は、口角を吊り上げ猛獣にも似た表情を作った。
「当然よ。お前が飯ごときで集中を切らす姿など見たくもない」
その視線は、壁に下げられた銘刀に向けられた。以前作ったものだろう。実利の頑健さと超俗の流麗さを併せ持った、紛れもない業物だ。
「ますます腕を上げたな、真鉄」
七紫の偽りない賛辞に対し、真鉄は暗い面持ちを回答とした。
それを見る彼の顔が、また悪童のような笑みを浮かべる。
「まだ目標には遠いか?」
「無論のこと。まだまだ、まだ遠い。……それに、私の伸び代はここまでのようだ」
「ほう、お前が弱音とは。どうした」
「貴様なら気づいているだろう。私の仕上げた刀は、ここのところ遅々として磨き上げられていない。さらなる研鑽をと思っていたが、ただ既知の技術を総動員しているだけは足りん」
真鉄はゴミ袋と化したコンビニ袋を掴み、両手でグシャグシャに握り潰す。そして部屋の隅にあったくずかごへと乱暴に投げ捨てるが、空気の抵抗に負けたそれはあっけなく床へと落ちた。
七紫はそれを拾い上げ、くずかごの中に落とす。
「お前は研鑽という言葉が好きだなぁ。で、つまり吾輩が帰ってきた暁には魔鉄鍛造技術を教えろ、ということだな?」
「そうだ。材料については、貴様の家の蔵に山ほど眠っているはずだ。問題ないだろう」
「あー、祖父様が押し売りされたあれか。あるなぁ」
「それで、どうなんだ」
「当然のこと。お前に真っ先に教えよう」
「かたじけない」
らしくもなく深々と頭を下げる真鉄に、気にするなとばかりに七紫は笑う。そこでやっと立ちっぱなしだと気づいた七紫が、くずかごの横に置かれていた質素な丸椅子に座り、部屋の主に着席を促した。しかし彼は、無言で鍛刀の準備を始めてしまう。
「なんだ、座らんのか」
「座ったら話が長くなりそうだ」
「それもそうか。なら準備をしながらで構わん」
簡素な椅子に座った彼は、思案するように腕を組み、やがて口を開いた。
「魔鉄鍛造にあたって必要な素養なのだが、お前は視界がおかしくなったことはないか?」
「視界がおかしくなる? 眼の前がぼやけるといったことか?」
「いや、もっと超常的なものよ。例えば吾輩の場合、歩くと視界のいたるところで草木が芽吹き、やがて枯れる」
「なんだそれは山の神か貴様」
「吾輩もそう思う」
共通認識に二人してうなずいたあと、真鉄は熟考するように顎に手を当てる。
「そういったものか……。そうだな、いつからか刃の中にお前の妹が見えるようになった。それからずっとそうだ。どうも幻覚ではないらしい」
「それはこじらせてるな。しかし素質があるようで重畳重畳」
満足気に頷き、木格子の窓から外を見る。この家屋は時計がないので、外の様子で判断する他ない。もう多くは寝る時間だろう。
椅子を立ち、ゴミがちゃんとくずかごに入っているか改めて確認した七紫は、作業場の彼に視線を向ける。そして、七紫の動きなど意に介さず鍛刀を始める姿に笑みを浮かべた。
「ではそろそろ、吾輩は帰るとしよう。いいものが見られたし、支度もせねば」
「出立は近いのか」
「明後日だな」
そこで七紫は探るような、訝るような視線を真鉄へと向ける。
「そういえば、行っている間は飯はどうする。いつも吾輩が持ってきているが」
「適当にやる。気にするな」
「言うと思ったが、前にそれで倒れられたからな。信用ならん。妹に任せよう」
「……ほう、任せられるのか過保護の貴様が」
挑発するような声音を使いながら、真鉄の頬は引きつり視線もどこか泳いでいた。
「まぁ、それをやるとお前の集中が切れるからなぁ。それは吾輩の望むところではない。では馴染みの蕎麦屋に頼んでおこう」
「……それは、かたじけない」
言いながら、真鉄は少し残念そうに息をついた。それに対して、七紫も残念そうに肩をすくめる。
「お前の妹に対する態度は嬉しくもあるが……。あまりそちらに気を向けて鍛刀を疎かにするなよ? 吾輩がいなくなって妹がこちらにくる回数は増えるだろうしな」
「一意専心中毒が。そこまで言うなら自分で深める技術の一つや二つは持ったらどうだ」
「これは申し開きのしようもないな。では、技術の拡散者として粛々と支度をするとしよう」
今度こそ立ち去ろうとして、七紫は玄関の敷居をまたぐ。
その背中に、真鉄は笑みを浮かべ、言葉を投げた。
「七紫。素晴らしき研鑽を期待している」
「応とも。期待していろ」