甘い感謝を白く包んで
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- 木下ラルゼ
今日の私はどうかしていると思う。
いや、曲がりなりにも日頃からお世話になっている以上、こういうこともやっていかないといけない気がするのだ。横で物欲しそうにするあの子に待ったをかけてから、こちらに背を向けて作業する所長に声をかける。
「あ、あの、所長……」
「あれ、どうした? 今日はもう上に戻っていいぞ。木下の今日の仕事は終わりだ」
振り返った彼はいつもの気だるげな表情で言うが、山と積まれた書類と隈のある気だるげな目が、それがわかりやすい嘘であることを肯定している。別に彼が過労死しようが構わないが、それで私とこの子が路頭に迷うのは困る。
どうにか信用してほしいが、私が店先に倒れていただけの子供だということを客観的に見れば、信用されないのも無理はない。それに今任されているのは研究所内の掃除や段ボールの片付けくらいだ。これでは信用度を上げようもない。そうだ、これは信用度を上げる手段なんだ。
彼は逡巡するように顎に手を当てると、私の手にあるものを見咎めたのかわずかに表情を変えた。
「あぁ、たこ焼き作ったのか?」
「あ、えと、そ、そうです!! あでもちょっと違うくて、いえ違いまして!」
「なんだそれ」
思わずといった様子で笑う彼の前に皿を突き出す。
今日が何の日か、どうか気づかないでほしい。
「美味いな、というかこれ甘いなチョコか」
「は、はい……」
「新メニュー開発はありがたいけど、これ常設では出せないなぁ。粉も違うから。イベントごととかだと出せそうだけど。それこそバレンタインデーとか」
あっ。
「もしかして今日ってバレンタインデーか?」
「は、はい……」
「そうか……。ありがとう。机の上に置いてもらえれば大事に食べるよ」
そう言って背を向けようとして、しかし動こうとしない私を見て不思議そうに首を傾げている。
おそらく、ここが最適なタイミングだ。
彼から信用してもらうために、一歩踏み出さなければ。
「何か、お手伝いできること、ありませんか……?」
「あ~…………」
悩ましげに天井を仰ぎ見た彼は、数秒その姿勢のまま沈黙すると、やがて私に視線を戻した。彼の表情はどこか苦々しげだ。
「いや、休んでほしいのは本音なんだよ。見ての通りすごい量だろ?」
「で、でも、分担しないと終わらないんじゃ……」
「それもそうなんだよな」
どうしようもない物的証拠を指差されて、眉間にしわを寄せた彼は苦々しい表情を深める。また天井を仰ぎ見て、数秒呻き声を上げた彼は、やがて仕方なさそうに首肯した。
「わかった。やり方を教えるから、横でやってくれるか?」
「は、はい!」
「机は確かどっかにあったと思うんだけど、埋もれてるんだよな……。木下がいつも使ってる折りたたみ椅子持ってきてくれる? やりづらいだろうから後から整備する」
「わかりました!」
紙を揃えるため机に数度落としていると、以前より隈が深くなった所長が幽鬼のような表情でこちらにやってきた。
「ラルゼ、進捗どう?」
「終わりました。そういう所長はどうなんですか?」
「終わんないんだよ、これが。手伝ってくれない?」
頭を掻きながらの一言に、細く長く息を吐く。
「わかりました。最近は手伝い続きですから、何か用意しておいてくださいね」
「来月は少し豪華なものを用意するか」
「今年ももらえると思ってるんですか?」
「えっ、もらえないの」
「あげますよ」
「もらえるんじゃん」
ちょっと待ってください、と前置きして、1階に上がり準備をする。少し置いておいたそれをレンジで温め、その間に急須にお湯を落とす。数秒で明かりが落ちたレンジからそれを取り出して、お盆に載せたそれらを持って階下に向かう。
所長は机の上にある書類を悩みながら2つに分けていた。
「これがラルゼの分な。悪いけど頼む」
「本当に終わってないんですね……」
「軍の知人の用事を手伝ってたらな、時間がなくなってな」
呆れながら、レンジで温めたそれを机の上に置く。
「ここ数年は所長の要求が上がる一方でしたから。今年はこれでも食べていてください」
「懐かしいな、チョコたこ焼きか。……たこ入ってないよな?」
「お望みであれば後から入れますよ?」
「いやいい」
苦々しげな表情で彼が言う。そういうシンプルな嫌がらせが嫌なら、来年はやっておこう。
持ってきていた急須から湯呑に茶を注ぎ、それも置く。その表面を見た彼は首を傾げた。
「今年は紅茶じゃないんだな」
「趣向を変えました。緑茶はチョコに合うという話もありますから」
確か九州辺りの甘い匂いのする緑茶だ。近所の茶屋のおばさんにもらった。
「では、私は仕事をしますから、少し休憩していてください」
「わかった」
分けられた書類を手に取り、自分の机に戻る。手早く所長の仕事を片付けないといけない。残業なんてあってなきがごとしという仕事だ。早く片付けて早く寝るに限る。
あまり片付かない段ボールが積まれた部屋で、所長の机の対角線に置かれた机で、所長に背を向けて今日も書類を片付ける。明後日には実務の仕事があるはずで、机の横で無心でチョコたこ焼きを頬張る彼女にも手伝ってもらう予定だ。
なんとも代わり映えがしない毎日だ。
「美味いな」
「それはよかったです」
しかし、そういう日々も悪くはない。