マーガレットの咲く先へ
昔、何度か所長に女性の好みを聞いたことがある。すると彼は必ず、目を遠くに向けてこう答えた。
「そうだな……。背の高いお姉さんかなぁ」
それは、彼の中に私の姉の残影を見る、唯一の機会だった。
年に一度、私は研究所をお休みして、少し遠くに向かう電車に乗る。
普段は早く立ち去りたくて足早に終えてしまうが、今日は喫茶店に立ち寄り、心の準備をしてから向かった。寺の門扉を潜り、住職さんに挨拶をしてから、手に持つ菊の花束を持ち直し目的地に足を向ける。
そこに信じられない人がいた。
「ラルゼ」
「所長……どういう、ことですか?」
「どういうことも何も、お参りだよ」
「どうしてここを知っているんですか」
彼女がここに埋葬されていることを知る人は少ない。当然、加害者である彼が知るはずもない。
しかし、厳然たる否定材料が彼の手に収まっていた。控えめな大きさのマーガレットの花束。それは毎年、私以外の誰かが姉の墓に供えていたものだ。
「毎年きてたんですね」
「君が立ち去った後にいつも供えていたんだけど、今日はタイミングを間違えたみたいだ」
「ずっと、考えていたんです。私とあの子に最初に助けを求めたときのことを」
「あぁ、あのときは助かったよ」
「違いますよね?」
「何が?」
「別に私たちがいなくても、どうにかなっていましたよね?」
「まぁ……そうだね」
彼は、研究所にある肉塊を使うことでリスポーンができる。
「あのミートボールを使えば、私とあの子に助けを求めずに解決できたはずです」
「随分ストレートなネーミングだね。まぁ、あのときは確かめたかっただけだよ」
「何をですか?」
「君の殺意が本物か。本物だったら戦力は連れてこない」
そう言う彼の瞳は冷めきっていて、思わず背筋が寒くなる。
それと同時に、頭の中が急速に熱くなるのを感じた。
「どうして、なんで殺したんですか。姉を」
「語弊はあるけど……あの状況だとそうせざるを得なかった。そうとしか言えない」
「もっと言い訳をするものだと思ってました」
「言い訳しても仕方ないしね」
冷めた物言いが頭にくる。
同時に、それはどうしようもない事実だった。
どんなに言い訳をしようとも、死は覆らないのだ。
「所長、これがなんだかわかりますか?」
「どう見ても拳銃だね。銃刀法違反だよ」
淡々と告げる彼に焦りの色はない。当然だ。
「『これで所長を殺そう』と姉に報告するために、今日はきました」
「そうだったんだ」
「でも……。私は、貴方を殺せない」
それは感情的な意味ではない。肉塊がある限りリスポーンし続ける人間をどうやって殺せというのだ。肉塊は大きすぎ、処理に時間がかかる上にその間に所長に見つかるだろう。色々と方法を考えたが、実行に移すにはリスクが高いものばかりだった。あの子を使えば確率はあがるだろうが、私の私情に巻き込みたくないというのが本音だ。
結局のところ、私は本来の目的を果たせないまま、すべてを諦めるためにここにいる。
「ラルゼ、君は復讐のために研究所に入った」
「そうですね。いつ頃気づいたんですか?」
「行き倒れていたところを助けたときだね」
「えっ」
行き倒れていたとき、それはつまり……。
「最初から気づいていたんですか? 姉とは似ても似つかないのに……」
「何言ってるんだ。そっくりじゃないか」
その言葉に、じくりと胸が痛んだ。
姉は簡単に言い表せば才女だった。いつも彼女の後ろを歩かざるを得なかった苦しみの日々は、筆舌に尽くしがたい。
せめて姉が傲慢であれば救われたのに、彼女は憎めないほどの善人だった。
しかし、天才で善人という恵まれすぎた彼女は疎まれたのだろう。彼女は怪死し、それに関わったのがこの男だと知ったときは腸が煮えくり返った。
そして復讐を決意した。この気だるげな男に地獄を見せるために。
「名前は偽名かな。 採用のときに履歴書も運転免許証も見なかったから、本当の名前は知らないけど」
「……そうですね」
しかしその決意も、この花束と共にここへと置いていく。負け犬にとっては、精一杯の美しく見える終わり方だ。
細く長く息を吐く。いつの間にか俯けていた顔を上げれば、そこには微かな笑みを浮かべた彼がいた。
「随分と自信を持って話せるようになったよね」
「どういうことですか?」
「最初の頃、ずっとおどおどしてたから。僕とあの子に振り回されていくうちに、随分と成長したなぁと思って」
「……感謝してくれと?」
「そういうわけじゃない。振り回されても、それで成長できるかは本人次第だから」
あっけらかんと彼が言った。そして、去るように出入り口に足を向ける。
「邪魔をしてはいけないから、後で伺うよ。ラルゼも、お参りが終わったらちゃんと帰りなよ」
「どこにですか?」
「研究所だよ」
「私は復讐しにきたと知ってなお、そう言うんですか?」
「最初から知ってたけど」
「ぐっ……」
「それに、別に復讐しにきても一向に構わないよ」
それは彼が見せる数少ない驕りだった。
「寝首を掻くかもしれませんよ」
「別に構わないよ、頑丈だし」
「あの子を差し向けますよ」
「ご褒美だよ」
「所長の皿のミートボールだけ所長の肉塊使いますよ」
「共食いになっちゃうんだけど。というかそれはもう嫌がらせじゃない?」
呆れた表情をした彼は、やがて努めて真面目な表情を作る。自然と身体が強張った。
「どんなに恨みを持ってもらっても構わないけど、一つ忘れないでほしいことがある」
「……なんですか?」
「木下ラルゼは僕の研究会の研究員で、あの子のお気に入りだってことだ」
どんなことを言うのかと思えば。
思わず肩の力が抜けたことを自覚する。
「……所長。花束が萎れてしまうと問題ですから、一緒に生けてください」
面食らったように目を瞬かせた彼は、やがて微かに笑った。
「そうしよう。僕は左をやるから、ラルゼは右を」
「わかりました。半分こちらに分けてください」
所長からマーガレットを受け取り、菊と一緒に生ける。なんともアンバランスな組み合わせだ。
そしてそれは、そのまま私たちにも当てはめられるのかもしれない。そう思うと、自然と笑みがこぼれた。